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ホウネット通信

読書のしおり(8) 佐野洋子「死ぬ気まんまん」(光文社文庫)

2013年11月7日

 佐野洋子は2010年11月に亡くなった。死ぬ前の佐野洋子と主治医の先生との対談も含まれたエッセイ集である。佐野洋子はガンで余命2年を宣告されながらも、「じゃあホスピスのお金を含めて死ぬまでに1000万だね」とそのつもりでお金を使い、ガンでありながら“元気”に逝った。『死ぬ気まんまん』は佐野洋子の息子が闘病中の母親を見て言った言葉である。この本によると佐野洋子は、人がガンと宣告されたら皆とおる「否認から受容」までがあてはまらなかったらしい。

 ガンが骨にまで転移して這うように病院に行ってもたばこは止めず、病院は禁煙だから帰りのタクシーで吸っていたのがタクシーも禁煙だったため、病院帰りに新車のジャガーを買った。車にさえ乗れば右足は動くから、自分の車でたばこを吸うためにである。息子夫婦が「少しは歩かないと衰える」とテレビの前に置いたベットを2階に動かしたら、今度は長椅子をベット代わりにごろごろしながらしあわせを感じていた。ジュリーは若い頃もよかったけど、今のふとったジュリーもいいとコンサートにも行った。ホスピスは先生がすごくかっこいいと聞いてそこに決めたという、病気だけれども闘病記でない、日常生活を書いたエッセイである。佐野洋子は母親が嫌いだった。「だから、施設に入れた、」と毎月30数万ものお金を払いながらも母親を捨てた自分を見つめながら母親がぼけて母親をうけいれることができるまでのこと、幼い頃の思い出も語られている。

 佐野洋子は絵本『100万回生きたねこ』の作者である。百万回生きて100万回死んだねこが自分より大事なつれあいと子供ができてはじめて生き返ることがなかったという大人向けの絵本ではないかと思うが、小学生の国語の教科書にものっている。私は好きだけど、子供にわかるんかなぁと思いながら子供に読み聞かせをした絵本である。他におもしろい絵本で『おじさんのかさ』『だってだってのおばあさん』もある。そのものの存在意義を全うするという話でその意味で大人が読んでも深い。佐野洋子は満州からの引揚者である。お父さんは、旧帝大出のインテリ、お母さんは、徹底的な現実主義者である。7人兄妹で子供の頃3人の兄弟を亡くしている。この頃の思い出やお母さんとの葛藤を書いたエッセイ『私はそうは思わない』『神も仏もありませぬ』『シズコさん』『そうはいかない』なども子育ての時に読むとよかったかなと思う部分もあり、死ぬまで気骨を失わなかった人だと思う。

 今年8月、母親が81歳でガンの手術をした。母親は死ぬまで持っていくといったが、手術をしなければガンが皮膚を突き破り死ぬよりも恐ろしいと医者がおどしたのでしぶしぶ手術を承知した。後生大事に9センチになるまで育てていた。佐野洋子と同じガンである。

 佐野洋子のように自分の言いたいことをいい、怒り、したいようにするには、まず、経済力かなぁと思う。年とって、子供の顔色をうかがい、おどおど過ごすのは嫌だし、一人で生きていく覚悟と精神力もないしなぁ。最近は「死ぬって大変だなぁ」と佐野洋子や上野千鶴子、香山リカの本を読みながら、くら〜い、くら〜い毎日です。と書くと夫から「くらいというより、こだわって、怒ってばかりじゃないか」と言われそうですが。それにこれは、私が夫より長生きするという前提ですね・・・

2013/11/07 長谷川弘子

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