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事務所だより

コナン君の裁判員制度問答No.3 豆電球No.61

2008年7月4日

コナン君の裁判員制度問答No.3

コナン 裁判員制度で国民が一番心配しているのは、素人が裁判ができるのかということ。僕なんか、六法全書を開いたこともないがね。そんな人が裁判できるのか心配だ。そもそも、裁判員になったら、どんなことを判断しなければならないんだね。

長谷川 裁判員が判断を求められるのは、大きく言って二つある。一つは、被告人が有罪か無罪かという点、もう一つは、有罪の場合の量刑だ。
前者は、要するに、起訴状で検察官が主張する具体的事実、すなわち、「被告人が、○月●日、□□□で、△△に対し、**という行為を行ったか否か」とい う外形的事実を認めることができるか否か、ということ。これは専門的には構成要件該当性とも言う。それから、被告人が、その行為の結果について責任がある か、否か。過失犯は裁判員制度の対象ではないから、被告人に犯意(故意)があったか否かが問題となる。ナイフで人体を刺した場合、殺意があったのかなかっ たのか、というような問題だ。三つ目に、例外的に、構成要件に該当する行為が認められる場合でも、その違法性が争われる場合がある。正当防衛が典型的な例 だ。

コナン それは、素人でも判断できるのか。

長谷川 刑事裁判の認定の対象は、今言ったように、特別に六法全書の知識を必要とするものではないんだ。検察官が主張する犯罪行為の存否を、証拠に基づいて認定できるかどうかを、論理のルール、経験則と常識に基づいて判断するということ。
殺人事件で言えば、被害者の自宅にあった包丁が犯行に用いられ、その凶器に被告人の指紋が付着していた場合を考えて見よう。被告人が被害者と同居してい る人であり、その包丁に指紋が付着する機会があり得るケースを除けば、この事実は被告人と犯行を結びつける極めて有力な証拠だよね。こうした判断は、法律 の知識を用いて行われるものではなく、社会生活の中で日常的に培われる社会常識に基づいて行われるものだ。
だから、コナン君のように六法を一度も開いたことがない人でも、十分判断できることなんだよ。

コナン 外形的な事実はそうかもしれないが、故意というのは被告人の内心に関わる事実認定だよね。それはどうなの。

長谷川 さっき取り上げた事例で考えてみようか。ナイフで人 を刺して死に至らしめた場合、殺人罪で起訴され、被告人が殺意を否定しており果たして殺意があったか否か問題となることがある。頸動脈を狙ったり心臓を刺 しているような場合には、幾ら被告人が否定しても殺意の存在は一応推定できるだろう。刺した部位等から推定できない場合でも、刺した回数、刺し傷の深さ、 前後の被告人の言動、凶器である刃物の大きさ、刃対の長さ等の事情から、殺意の存否を推定できることが多い。このように、刑事裁判で被告人が犯罪事実の全 部又は一部を否定した場合には、状況証拠によって事実認定をすることになる。もし検察官が示した全ての証拠によっても、殺意があるのか否か確信が持てない という場合には、殺意の存在を認定できない(「疑わしきは被告人の利益に」という原則)。
このように、故意の有無という主観的な要素も、やっぱり社会常識に照らして判断すべき事柄なんだ。

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