文字サイズ 標準拡大

事務所だより

フルムーン旅行顛末記4 車椅子と救急車のフィレンツェとファーストクラスのホテルの巻 豆電球No.95

2009年10月2日

フルムーン旅行顛末記4 車椅子と救急車のフィレンツェとファーストクラスのホテルの巻

車椅子と救急車のフィレンツェとファーストクラスのホテルの巻
旅の喜びの一つは、人との出会いである。アクシデントに見舞われた旅であったが、イタリアの地方都市の風景、働く庶民の素顔、医療現場や空港で働く人たちに接することができ、またイタリア在住邦人の方々等と出会うことができ、これか忘れがたい思い出となった。14日にイタリアブランドの車椅子を「おみやげ」に購入した後、Kさんと一緒にプラトー市内でディナーをご一緒せていただいた。これが楽しかった。メニューを見ながら、ワイン好きのKさんが、「一つだけとびきりおいしいワインがある」と言った白ワイン(チェルバドとか。においを嗅ぎながら、「ラベルの写真を撮って行きなさい、日本では飲めない、日本で買っても防腐剤が入っている、あー、作り手の良心を感じる」等とうっとりしとおられた)を注文すると、Kさんの講釈が始まる。白ワインはグラスの根本のあたりを持たないといけない、なぜならワインが暖まってしまうこと、試飲する前に鼻の2つの穴で香りを確かめること、グラスを振ると酸味が強くなるから決して振ってはいけないこと等。前菜に出た豚のラード(背中)は、Kさんの勧めで噛まずにしたの上で転がしておくと、脂身のおいしさがとろけるようだ。トスカーナ地方特産の生ハムもうまい。タコと野菜をオリーブ油であえた前菜、パスタ、リゾットもうまい。すっかり酔っぱらってしまった。
その後、話題は、ヨーロッパの美人の話(Kさんによれば、ロシアや北欧の女性にこそ本当の美人がいるという。肉食の習慣があり、美人でなければ食べられてしまうから保護色のようなものだと言う。本当かどうか定かではない)、コーヒーがトルコで生まれた時は爪楊枝が立つくらいの濃さであったが、イタリアで薄まってコーヒー(エスプレッソ)になったこと、イタリアで生活する日本人達のこと等に及ぶ。
Kさんのことも聞いてみる。Kさんは、フィレンツェでバイオリン作りをしているという。奥さんは、チェリスト。小学校の同級生とのこと。文化芸術の街、フィレンツェに住む日本人とはこういうものかと感心。デザートの後、一杯付き合ってくださいと言われ頼んだのが、ウォッカ入りのエスプレッソ。凄い味だ。
15日は、チェックアウトしてフィレンツェに移動。ホテルは、ドゥオモのすぐ近くにあるいかにも高級なホテル(帰国してインターネットで調べたら一泊300ユーロ以上というファーストクラスのホテルであることがわかった)。客室は、車椅子のための広いバスルーム、要介護者用の浴室を備えた部屋である。どうも雰囲気が違う。フロントでチェックインの手続をするが、格式を保とうとしているのか、フレンドリーさが感じられない。
半日だけであったが、フィレンツェ市内を観光できた。ドゥオモ、ミケランジェロ広場、シニョーリア広場、ピッティー宮殿(メディチ家の邸宅であったところ)とパラティーノ美術館等を見る。これらは、銀行家だったメディチ家が、金融的搾取で蓄えた巨大な遺産である。ローマ遺跡群は奴隷たちの、フィレンツェの文化遺産も農奴や金融資本に搾取された市民たちの犠牲の上に成り立つものであることに思いを馳せないわけにはいかない。
問題だったのは、石畳。メディチ家にはバリアフリーの精神は全くなかったようだ。石畳の上はガタガタするし段差もたくさんある。車椅子に乗った妻の体は、時々空中遊泳のように浮いてしまい、お尻が痛いと嘆く。
夜は、ホテルのレストランでディナー。レストランも高級そうな雰囲気であったので、ためらわれだか、他に行く場所もないので、思い切ってフルコースを、と思って入店した。
店に入ると、蝶ネクタイにスーツを着込んだウェイターが近づいてきたが、店内はガラガラ、奥に幾らでも座る座席が空いているにもかかわらず、入り口近くの二人がけの座席を勧める。私は、それに従わず、少し奥の席に座ったが、欧州人と思われる客が一人で来ると、すぐに奥の座席を案内しているではないか。
ははーん、この野郎、アジア人を蔑視しているな、とぴんと来た。注文の取り方も気に入らない。コース料理の注文について凄い訛りの英語で説明するので(私の英語力も足りないが)、良く聞き取れない。私が注文の仕方を間違えると、「you must hear what I say」と来るではないか。mustだと!今、英会話を勉強しているが、mustというのは、余程の場合でなければ使わない。何とか注文はしたが、次第に度の疲れとワインの酔いもあり、妻と一緒に「本当に馬鹿にしているね」「たかが料理を運ぶだけのウェイターのくせに、さっさと料理を持ってこい!」(とは言っていないが)と腹が立ってくる。不平等条約改正を悲願とした明治の近代国家創設者たちの心情はこれだったのか、第一次大戦後処理のためのベルサイユ条約の際、欧州列強のアジア蔑視を批判し人種差別撤廃条約を提案しながら否決された日本人の心情はこれだったのか、と訳のわからない妄想も出始めた。
ちょうどそのとき、下腹が膨れてきた。一流ホテルの高級レストランの中だ、とは思ったが、このやろう、この際、構うものかと、つい筋肉を緩めたら、思いの外、大きな音量になって静かな店内に響いてしまった。しまった、これはまずい!と狼狽していると、具合良くフロントの人が来て電話が入っているという。助かった!と思い、フキンを椅子にかけて、フロントに走ったはいいが、レストラン前の柱が総ガラス張りになっていることに気づかず、これに激突してしまった。
だから一流ホテルは嫌なんだ、なんでこんなところに鏡があるの!
フロントに行き電話を取る。そうすると、連絡は、やはりタクシーではだめで救急車に乗ってもらわなければいけませんという通告であった。

このページの先頭へ