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事務所だより

夏の青春18きっぷ−只見線まで700キロの道のり 名古屋北法律事務所・参与  立木 勝義

2010年10月8日

2010年9月2日(木)名古屋駅午後11時20分発の東京行き臨時夜行列車−快速「ムーンライトなが

ら」で東日本方面の一泊2日のローカル線の旅に出発しました。

今回の制覇路線は只見線です。東京までは「乗ってトクするボーナス列車」といわれる谷夜行列車を

利用することにしました。

金・土曜日の出発は満席−出発日を変更

当初、私は土日の休みを利用して一泊の旅計画を立て、出発日の10日ほど前に大曽根駅に「ながら」

の整理券(名古屋〜東京310円)を購入に出かけました。すると駅員から「すでに満席ですね」との

返事がかえってきたのでビックリしました。やむをえずに予定を一日繰り上げて木曜日の夜に出発す

ることにしました。この列車が長距離移動列車として「18きっぷ」利用者にとって有効性の高い列

車ということを知りました。青春18きっぷ「日付変更駅」は豊橋駅(名古屋から1280円の負担)と

なることから、9月3日午前0時20分から「18きっぷ」がスタートとなります。

 車両は国鉄時代に私も運転したことのある183系の特急型(当時は「しらさぎ」等を運転)でした。

編成は10両なのに浜松駅からは、ほぼ満席になっていました。私は空席のあった隣の座席のリクライ

ニングを倒して睡眠をとりました。途中熱海駅あたりで目をさましたりして、東京駅で車掌に起こさ

れたのは5時05分でした。うっすらと夜明けを迎えた東京駅から上野駅まで山手線で移動し、朝6

時すぎの高崎線の始発まで上野公園などを散策しました。

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上野駅

上野から大宮までが東北本線で、高崎線は大宮から高崎までの区間で74.7kmの首都近郊の重要路

線となっています。上野駅から約1時間ていどで熊谷駅に到着。この駅は長野新幹線へ乗り換えの駅

で周辺は新興住宅が建ち、東京までの通勤圏の姿で午前7時過ぎの10両編成の列車はほぼ満席状態と

なってきました。

 熊谷から2駅目の「深谷駅」で下車して、ホームを跨ぐように立つ洋館風の駅舎を見ることにしま

した。「その全容は下車してみないとわからない大きさ」とあったので散策することにしました。た

しかに、レンガを生かした東京駅丸の内口駅舎を模した駅舎は堂々としていて、見る者を圧倒する建

物で一見の価値あり、といえます。

「深谷駅」のホームから近代日本経済の父−渋沢栄一生誕の地との看板をながめながら次の電車で

高崎まで向かいました。

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「深谷駅前」のレンガ造りの駅舎

「本庄駅」から「神保原駅」のあたりから埼玉県に入り、車窓からは収穫のすんだ畑とまだ少し残

っているネギ畑を眺めることができます。高崎駅に8時02分に到着したので朝食には有名な「だるま

弁当」(900円)を購入して早速いただくことにした。味ご飯の上部にこんにゃくやタケノコなどの

山菜とエビで色遣いをした弁当の味は格別でした。

 午前8時23分発の上越線(高崎〜宮内間 162.6km)で水上駅まで間の約50kmは車窓左側に群馬

県の榛名山や妙義山、右側には赤城山の裾野が横たわっている風景をのんびりと眺めながら温泉町の

水上駅に列車が滑り込んでいきました。

水上駅を9時47分に発車した115系電車は新清水トンネル内の駅で、地上まで462段の階段を登る

ことで有名な下り列車専用の土合駅に停車して、冬ならば雪深いであろう越後の国に向かいました。

土合駅の停車時分は30秒程度でしたが、私はホームに降りてみると、ひんやりとした空気が流れてい

て気持ちよかったです。

トンネルをすぎるといよいよ越後の山々とスキー場ばかりとなります。「越後中里駅」のすぐわき

にはスキー場のリフトが間近に迫ってきて、いまにも飛び乗ることができてしまうという感じです。

そのスキー場の脇には旧国鉄時代の客車が利用されて、スキー客の休憩場として活躍しているとのこ

とです。いまではスキー客も激変して観光資源もあまりなく、さびれた感じの駅は「上越国際スキー

場前駅」でした。駅の側のペンション風の建物もかっての若者達の交歓の場から忘れ去られようとし

ている感じがしました。

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スキー場の休憩所として利用されている旧国鉄の客車

「石内駅」で乗務員の交代する光景を眺めながらぼんやりしていると、「浦佐駅」(うらさ)に近

くになって車内放送があり、「新幹線への乗り換えのご案内」が耳に入る。こんな片田舎になぜ新幹

線の駅なのかという疑問が沸いたがすぐに答えが出ました。あの田中角栄さんの出身地に近いという

地域で、駅には銅像も建ってるとのことです。次の「小出駅」の方が只見線との取り継ぎ駅でもある

ので、普通に考えれば小出が新幹線接続になってもと思うのは私だけですかね。その小出駅には11

時11分に到着しました。

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 「只見線」の電車

いよいよ、只見線へ

 只見線は新潟県側の小出駅と福島県側の会津若松駅を結び、全長は135.2kmで全区間運行は一日3

往復のみの超ローカル路線である。

小出駅で会津若松方面行きの普通列車まで2時間待ちとなったので、駅前のタクシーの運転手に「近

場に温泉はないですか」と尋ねると「ワンメーターぐらいで行けますよ」とのことで案内してもらう

ことにしました。小出スキー場の近くに見晴らしの湯として、地域のふれあい交流センター「こまみ」

という日帰り温泉施設があり、そこで湯につかることにしました。こんなときに誰に気兼ねなく行動

がとれて、「一人旅は勝手が出来ていいな」と思うんです。施設内で「へぎそば」というそばが二口

ぐらいづつに分け盛りされて並んでいるざるそばを食べたあと、昼寝と洒落こみました。

小出駅まで徒歩で20分程度と聞いていたので、帰りは徒歩で小出スキー場をゆっくりと下っていき

ました。すると小出公園入口あたりに「作家・山岡荘八出生地」との碑が立っていました。この小出

町は、あの徳川家康という長編時代劇作家の生まれた土地なのでした。またまたあたらしい発見でし

た。

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雪国の越後らしく1階が倉庫となっている建物

小出駅13時17分発の列車はデーゼルの2両編成。雑草が茂るホームから列車は発車しました。只

見線は線路のすぐ近くまで田圃の畔道がせまってくるようなのんびりした風景が飛び込んできます。

しばらくすると車内に「魚沼市・観光車掌」の半被をきた中年の職員が町あげての只見線アピールの

ために「だんだんど〜も」乗車という記念乗車証を配っているのです。「だんだん」とは、魚沼市の

方言で「いつもありがとう」の意と書いてありました。 

?「只見線は紅葉の美しい路線です。ぜひ、秋にお越しください」と宣伝していました。

只見線は日本有数の豪雪地帯として知られており、只見線が全通するまで終着駅であった大白川駅

には、蒸気機関車時代の給水塔が残っていました。民家も商店もない田子倉駅(臨時駅)を通過し、

田子倉湖あたりを過ぎると車窓には只見川が寄り添ってきます。

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大白川駅に残る「蒸気機関車時代の給水塔」

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田子倉湖を横に見て

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只見川沿いを沿って走る列車

そばの花やすすきの穂を眺めながら列車は「会津川口駅」に到着しました。この駅で10分ほどの停

車です。懐かしいタブレット(川口〜坂下までが通票区間)の交換風景は、人が列車の安全を守り確

認する人間味豊かな光景です。

 列車は会津若松へ向けて再出発です。

 途中会津坂下では学校の授業を終えて岐路につく高校生がたくさん乗り込んできて、若松までは車

内は満席でした。地元住民の足として活躍している鉄道の役割を実感できるひと時でした。こうして

ゆっくりとした只見線の旅も終りにちかくなりました。白虎隊で有名な会津若松駅に到着したのは17

時18分で、只見線乗車時間は約4時間の旅でした。

その後、磐越西線で「猪苗代駅」まで乗車して、今宵の宿の猪苗代湖畔に向かいました。

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懐かしい「タブレット」の交換風景 会津川口駅

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猪苗代湖の朝

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野口英世博士ゆかりの駅「翁島駅」(おきなしま)前の田園風景

私の目標    

5年で、全国90路線、全国制覇を

今日の到達点  

東海道線(名古屋〜東京366km)、山手線(東京〜上野、池袋〜大崎間13.4km)高崎線(大宮〜高崎 74.7km)、上越線(高崎〜小出間132.2km)、只見線(小出〜会津若松 135.2km)、磐越西線(会津若松〜郡山間 64.6km)、東北本線(東京〜大宮間 30.3km 郡山〜宇都宮〜赤羽間 213.5km)、横須賀線(湘南新宿ライン大宮〜大船間77.7km)の9路線で東海道線は前回までに一部計上のため8路線とする。 前回まで22路線+8路線JR線/計30路線 【第3セクター線/1路線】

残路線 60路線

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