文字サイズ 標準拡大

事務所だより

安倍内閣の集団的自衛権の「研究」 豆電球No.18

2006年10月13日

安倍内閣の集団的自衛権「研究」

安倍内閣は、集団的自衛権について、憲法で禁止されている集団的自衛権の行使の範囲についての研究を行うことを打ち出した。その狙いは、「集団的自衛権の行使は憲法上、許容されない」としている内閣法制局の見解に風穴を開けることにあると思う。
安倍総理は、5年以内をメドに憲法9条の改定を含む憲法の全面的改正の方向を打ち出しているが、憲法の明文改正は国民投票というハードルがある。そこ で、憲法の明文改正をめざしつつ、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更、自衛隊での海外での活動範囲の拡大により憲法9条を空洞化させようとしてい るのではないか。
ここ数年、衆参両院が憲法調査会を設置して憲法改正の方向を示唆した報告書を出したり、自民党や財界が新憲法草案や憲法改正に関する提言等を公表する 等、憲法9条改正をめざす勢力は、あの手この手で世論づくりを試みてきた(その努力は涙ぐましいとも言うべきである)。しかし、世論調査をやると、憲法9 条については改正反対がだいたい6割を占めるという傾向は変わらない。憲法9条については、国会での議席と国民の世論の分布は大きく異なっている。国民の 平和を求める世論には根強いものがあるのである。
安倍内閣によって行われようとしている集団的自衛権の解釈の変更に関する研究は、その危険性を軽視できないものである。その布石はすでに相当打たれてい る。そして、これまで打たれてきた布石を見れば、今後の「研究」の方向性をある程度は予想できる。安部内閣は「研究」ということを標榜しているが、客観 的、中立的な立場での研究ではないことは明らかだ。
これまでの政府見解(内閣法制局)は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権 利」と集団的自衛権を定義した上で、「憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきもので あると解しており、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるものであって憲法上許されない」としてきた。
衆参の憲法調査会等での議論では、この政府見解に関連して、自衛のための最小限度の実力の行使は認められるのであれば、集団的自衛権の行使も自衛のため の必要最小限度の範囲内であれば認められる筈だ、という意見が出されている。また、集団的自衛権の行使と考えられている行動については、実はその一部は個 別的自衛権の行使と評価できるのではないか、という意見も出されてきた。安部内閣の研究の目指すところも、大方、このようなところにあるであろう。
また、これも重要な点であるが、戦後の自民党政治の中で作り出された現実は、すでにわが国が、集団的自衛権の行使とも考えられている範囲に踏み込んだ対 米協力を行ってきたことを示している。例えば、基地の提供。他国に軍事基地を提供し、その基地からの軍事行動を認めることは、それ自体がすでに集団的自衛 権の行使であるというのが国際的な共通認識であろう。日米安保自体が、すでに集団的自衛権の行使を前提としたものである。さらに、周辺事態法等では、米軍 に対する輸送業務、補給、整備、衛生等の後方支援活動を自衛隊が行うことを定めている。日本政府は、武力行使と一体とならないから集団的自衛権にあたらな い等と言い張るが、とても通用する理屈ではないと思う。
安倍内閣は、おそらく、日本が行っているこれまでの対米協力も集団自衛権の行使とも見られうるものであることを示しながら、先ほど述べた理屈、すなわち 最小限度の自衛権の行使は認められるのであれば、個別的であろうと集団的であろうと憲法が許容するところである、というところに持っていこうとするのでは ないだろうか。
安倍内閣がめざす集団的自衛権の行使に関する「研究」は、地球規模の日米同盟をめざし、日本がアメリカが世界各地で引き起こす軍事行動に参加することをめざそうとする道にほかならないと思う。

このページの先頭へ