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事務所だより

安曇野を訪ねて 豆電球No.33

2007年8月29日

安曇野を訪ねて

8月23日から一泊二日で妻と安曇野に行った。
今回は、以前から一度訪ねたみたいと思っていた「ちひろ安曇野美術館」に行くことが目的だった。
泊まりは、春日井法律事務所で事務員として働いていた鹿田さんが所有している貸別荘。鹿田さんは、貸別荘を管理しながら、その隣で「カフェ&ギャラリー  ペルヴィル」を経営している。信濃大町の大町ダムの近くにあり、私はリピーターである。夏でも実に涼しく、8月でも布団なしでは寒い。散歩していると、 カモシカや猿が顔を出す。7月に行ったときは、猿の一家に出会った。葛温泉が近く、仁科三湖や白馬等の観光地にも便利である。

晩夏の安曇野は美しかった。早稲の稲穂が実り、田圃は既に色づき始めている。信濃富士とも呼ばれる有明山、その背後に連なる燕、常念岳等の北アルプスの山々を背景にした農村風景は、安曇野独特のものである。7月に行った時は、ソバの白い花が美しかった。

ちひろ安曇野美術館は、思っていたより大きかった。広い敷地の中には、小川が流れ、裸のこどもたちが遊んでいた。
美術館では、ちひろの画法を解説する特別展示があった。
画用紙に鉛筆でデッサンした上に、色を付ける部分に筆で水を塗り、その上に絵の具をたらし込むようにして色を付けていく画法を紹介していた。これにより、 ちひろ独特の微妙なぼかし、独特の描線ができあがるのだという。瞳を強調した独特の子供の眼、顔の構図の確定等も、誰でも、思わず可愛い!と感じさせる子 供を描き出しているポイントだということを知った。
いわさきちひろの生涯を紹介する展示も興味深いものであった。生い立ち、女学校時代一回目の結婚の失敗、満州での生活等が紹介されている。
ちひろは、母の実家がある松本で終戦を迎えるが、戦後間もなくして行われた日本共産党の演説会に参加し、そこで、聖戦だと思いこんでいた戦争が侵略戦争 であったこと、その戦争に命かげて反対していた政党があったことを知り、日本共産党に入党する。以後、ちひろは一貫して、命の大切さ、戦争の悲惨さを絵で 訴え続けることになる。

ちひろ安曇野美術館を訪ねた後は、葛温泉の露天風呂である。大町ダムから車で上がっていくのだが、その途中に、オウム教団に妻と子供共々殺されてしまっ た坂本堤さんの慰霊の石碑がある。石碑の銘文によれば、坂本さんの子供さんの遺体が埋められた場所が、その石碑から4キロ程離れた湿地であったという。坂 本さんは、私の東大の同期生であった。私は学生自治会で活動しており、坂本さんはセツルメントで活動していたと聞いていた。弁護士になってからは、坂本さ んは横浜合同法律事務所に入所し、労働事件等に熱心に取り組んでいたようだ。非業の死を遂げた坂本さんの御冥福をお祈りしたい。
坂本一家の石碑の横には、龍の子太郎の童話にちなんだモニュメントというか、龍に乗った太郎の姿をした石像が立っている。松谷みよ子の童話「龍の子太 郎」の最後は、母が成り変わった龍が山に体当たりして山を崩し、洪水に苦しむ農民達を救うというものなのだが、それと坂本さんの石碑とのつながりが意識さ れているのだろうか。
葛温泉は、少し熱めの透明の湯である。露天風呂の湯の中に、落ち葉がゆらゆら気持ちよさそうに浮かび、流れていた。

翌日は、ゴンドラで八方尾根に上がり、八方池まで自然探索路を歩いた。往復で3時間程度のコースである。標高2000メートルから見た安曇野、眼前に連なる白馬三山の峰峰、五竜岳の堂々たる姿。久しぶりに北アルプスの姿を見たような気がした。
登山から遠ざかっていたため、稜線の紫外線が強いことをうっかり忘れてしまい、ひどい日焼けをしてしまった。
ふもとでざるそばを食べ、大王わさび農場でわさびソフトを食べた後(全然、わさびの味がしないのは、どういう訳だろうか)、帰路についた。

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