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事務所だより

松井秀喜、ばんざい!豆電球No.99

2009年11月6日

松井秀喜、ばんざい!

ワールドシリーズ第六戦で、松井が所属するニューヨークヤンキースがフィラデルフィア・フィリーズを下して優勝した。同試合で松井は、第一打席で2ラン、第2打席はセンター前2点タイムリー、第3打席はセンターオーバーの2点タイムリー2塁打、なんと6得点の大活躍で、ヤンキースの7得点のうち6点を松井がゲットした。
松井のポストシーズンでの活躍は、まさに爆発的なもので、ワールドシリーズだけでホームラン3本、貴重な先制点、だめ押し点、決勝点をたたき出した。この活躍が評価され、日本人初のMVPを受賞した。
大の松井ファンの私は、一晩たった今でも言いしれぬ幸福感に浸っている。やったー、ブラボー、ワンダフル、ブリリアント、エクセンレント!

私が松井ファンなのは、巨人ファンだから、ということが影響していないとは言えない。私は、何を隠そう根っからの巨人ファンで、名古屋で生きていく以上、中日ファンになれと言われ続け、「改宗」を試みたが挫折し、今でも隠れ巨人ファンであり続けている。読売オーナーが大嫌い、江川問題、有力選手を次々と高額報酬で獲得することにもあきれ果てたが、踏まれても蹴られても、裏切られてもついていくのが、ファンというものである。
松井は、アスリートとしての素晴らしい能力とともに、日本男子にふさわしい立ち居振る舞い、品格というものを感じさせてくれる。
体格の劣ると言われる日本人が、アメリカ大リーグでホームランバッターとして鳴らすことができるなんて、そもそも私たちの世代では、それ自体が信じられないことである。「ここぞ」という時に、一発をぶっ放す勝負強さ。球場を埋めた観客が、背番号55を見つめ、「打ってくれ」という時に、その期待に応えてしまう。こうしたアスリートとしての魅力だけでは、これだけ多くの人が松井に惚れ込む理由は説明できない気がする。野球選手としての実力、実績だけなら、イチローの方が上であろう。
松井は、打った後、にこりともせずベース上に立ち、あるいはゆっくりと一周して帰ってくる。松井は、決して自分を誇示することはない。MVPを受賞したインタビューの中でも、「試合で自分を誇示しようと思ってプレーしたことはない。チームの勝利、優勝だけを考えてプレーしている」と答えたという。自分を支えつつづけてくれたチームに対する恩返しという気持ちも強かったと思う。「(MVP)はおまけです」「自分に対して、誤解するなよと言い聞かせたい」と答えたという。この謙虚さ、個人より義、チームプレーを大切にするという日本人のメンタリティーの肯定的な側面を感じさせる渋さがいい。
報道が指摘しているように、松井の活躍の陰には、怪我とのたたかいがあった。人工芝の東京ドームではどうしても膝に負担がかかり、渡米した頃から不安もあった。ヤンキースでも、腕を骨折したり、昨年は膝の手術を受け、今年は守備ができないため、指名打者としてプレーすることになった。しかし、いつも感心していたのは、松井が、決して投げやりになったり、いたずらに悲観することがないことであった。記者から「膝は大丈夫?」と聞かれても、何とかなるよとさらりと答えながら、陰では人一倍体をケアし、長嶋監督かから教えられた通り無心で素振りをやって、自分を鍛え、備えてきた。その努力が、このワールドシリーズで大きな華を開いたのである。「くさらずに、夢をあきらめずに頑張っていれば、必ず結果はついてくる、believeinyourself!andyourdreamwillcometrue!」と、われわれを励ましているように、松井は怪我を克服し、仕事を成し遂げ、夢を果たしてくれた。
松井が、ニューヨークに行ったとき、真っ先にグラウンドゼロに行って死者に思いを馳せたことも、ふるさとを襲った大震災の時、ぽんと何千万か寄付したことも良く知られている事実であろう。
大げさかもしれないが、仁と義、礼、克己と自己修養、質実剛健、真剣勝負に心静かに立ち向かう姿、喜怒哀楽の抑制、こうした日本武士道が残してくれた「男子の美徳」というものを、私は松井に感じる。
松井は、今年で契約期限が切れ、ユューヨークヤンキースに残留できるか否かわからないという。MVPを取った選手を放り出すチームがどこにあるかという声もあるというが、仮に松井は六今年限りで解雇されたとしても、きっとさわやかに、チームに対する感謝の言葉を残して、去っていくと思う。桜の散り際のように。

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