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事務所だより

河村たかし名古屋市長の南京事件に関する発言に思う   豆電球№125

2012年2月28日

先日、裁判所の帰りに三の丸庁舎南側に植えられている白梅の古木がちらほら花をつけていた。気象庁の予報だと3月1日からは暖かい日が増えるという。寒い冬もようやく終わりが見えてきたということだろうか。

昨年末の豆電球から2ヶ月も経過して、事務所の広報委員長の白川弁護士からお叱りがあり、筆を取ったが、さて何を書こうかと思って朝刊を見ると、河村たかし名古屋市長の南京事件に関する発言を理由として江蘇省が市民に対し名古屋への渡航の中止を呼びかけているという記事があったので、この問題について書いてみる。

この問題は、2月20日、南京事件に関して、河村市長が、友好都市である南京市の幹部が名古屋を訪問した際、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と語ったことが発端である。中国外務省が不快感を示し、中国メディアも大々的な批判を展開している。

河村市長が、なぜ、今、南京事件について発言したのか、真意は定かではない。思いつきで発言する政治家であるし、橋下大阪市長が過激な発言で世論の注目を集めていることが妬ましくなって発言に及んだという見方もあると聞く。河村氏がどんな政治信条、歴史観を持つかは自由であるが、友好都市として訪問した南京市の幹部に市長として応接した場所でセンシティブな歴史問題について個人的見解を述べるというのは、それだけでも無責任の誹りを免れないものである。名古屋市と南京市の友好都市関係を傷つける行為であることは明らかであり、河村氏が市長という職に全く向いていないことを示している。

南京事件について歴史の専門家の間で意見が別れていることは、事実である。河村氏も、そうした論争を知っての発言だろう。ここでは、この問題について、政治家としてどのような立場で臨むべきか、という点について述べてみたい。

いわゆる南京事件では、日本軍によって虐殺された市民の数が20万、30万という見方もあれば、数万人、数千人という見方もある。2005年に私は南京市の南京大虐殺記念館を訪れて献花したことがあったが、施設には大きな文字で「30万」という数字が書かれていた。中国では、江沢民が国家主席であった当時、歴史認識の問題でやや行きすぎではないかと思われるような反日的な教育がなされていたが(と私は思う)、その影響もあったのかもしれない。日本の歴史家の中には、このような見方に賛同する学者もあれば、事件そのものを否定する見解も存在している。しかし、相対的に多くの歴史家は、日本軍による組織的な市民の虐殺があったことを示す様々な事実の存在を認めており、私も日本軍による組織的な南京虐殺事件はあったと考えている。

この問題を考えるとき、私はいつも、加藤周一氏が著した「私にとっての20世紀」(岩波書店)という書物に立ち返っている。この中で、加藤氏は初めて南京を訪問した際の心情に触れている。正確な要約はできないが、そのエッセンスを紹介したい。

第1に、加藤氏は、「日本人に対しても、中国人に対しても言いたいことの一つは、『南京虐殺を数の問題に還元しない方がいい』ということ」「もっとも大事なことは、南京虐殺があったということです」「その数が一万だろうと数千だろうと、あるいは10万であろうと、とにかくそれは言語道断な市民の殺戮であるということです」と述べている。加藤氏は、南京虐殺とナチスドイツによるユダヤ人虐殺との違いについても言及している。

第2に、加藤氏は、客観的事実を尊重するという姿勢は「誰にも譲れない」としつつ、外国の人々、特に相手が被害者である場合、「完全な言論の自由があるとは言えない」、被害者の国の人々の言うことに疑問があっても、それに対する発言は慎重でなければならないことを強調している。加藤氏が南京市を訪問した際、南京の記念館の館長と会うことになったが、その際、館長が数字を出して主張を述べたことに対して、「私はその問題にはあまり深く立ち入りたくないといった。あなたが言っている通りかもしれないが、正確でないところもあるかもしれない」と断ったという。私もいくつか南京事件の書籍を読んでみたが、その規模について確実な根拠を持って発言する自信はないから、もし中国の人々と南京事件について話をする機会が生じた場合には、同じような立場で発言するしかないだろうと思っている。

第3に、加藤氏は、最も重要なことは、なぜ南京虐殺が起きたのか、その責任の問題、将来二度と同じような事件が発生しないようにするためにはどのような手段を講じるべきかについて、日本人は徹底的に議論しなければならないと述べる。加藤氏の厳しい批判の目は、時の権力者だけではなく体制順応主義に染まって軍部を支持した国民の責任にも向けられている。

重要なことは、客観的事実を尊重し、歴史的事実をできる限り公正な立場から探求するという立場に立つと同時に、加害者としての自覚を持ち、友好関係に配慮しながら対話を重ねていくということではないだろうか。河村氏の歴史観は知らないが、日本が中国大陸を侵略し、数知れない中国人の命を無残に奪い去った加害者であるという認識を持っているのであれば、よりによって友好都市の関係にある南京市の幹部が市役所に訪問した際に、面と向かってあのような発言をすることにはならないだろう。河村氏には、侵略戦争に対する歴史的反省が欠如していることは明らかである。

河村氏の発言は、名古屋市長として断じて許されない発言であり、直ちに撤回し、謝罪すべきである。

2012/2/28

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