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事務所だより

犯罪被害者の権利に関する一連の法改正について1 豆電球No.28

2007年7月20日

犯罪被害者の権利に関する一連の法改正について1

犯罪被害者の人権保障について、通常国会で重要な法改正がなされたので、この際、犯罪被害者の権利保障について私が感じてきたことを述べたい。その上で、今回の法改正の重要なポイントを紹介したいと思う。
ホウネットニュース8号にも書いたが、私は、日本の弁護士集団は、えん罪事件等の刑事被告人の人権保障の取り組み、公害や薬害訴訟、労働事件等において 極めて先進的な取り組みを行ってきた中で、犯罪被害者の権利保障については、必ずしも十分な取り組みが行われていない分野であると考えてきた一人である。 私は、司法修習生時代、東京や川崎の大気汚染公害訴訟の患者聴き取り調査等に参加し、弁護士登録後も様々な人権裁判に関わってきたが、法律家の原点は「事 実」であり「現場」であって、事実を直視し受け止めた上で、法律を適用して正義を実現することが、法律家の役割であり使命であると先輩から教えられ、そう 考えてきた。
弁護士登録後、多数の刑事事件に弁護人として取り組んできたが、その中で、検察官の訴訟活動が犯罪被害者の心情を十分理解しているのだろうか、犯罪被害の事実を裁判官に直視させる訴訟活動はこれで十分なのだろうかという疑問を抱きづけていた。
犯罪被害者の被害の状況(犯罪事実)、被害者の心情といった事実は、一部の否認事件を除けば殆どのケースでは供述調書として提出され、法廷で犯罪被害者 の尋問がなされることは稀である。他方、弁護人は、自白事件では特にそうだが、被告人質問によって弁解や反省の弁を述べさせたり、被告人の家族等の尋問を 行い、被告人に有利な情状事実の立証を法廷で行うことが通例となっていた。
数年前のある酒気帯びによる交通事故死亡事件の公判では、こんなことがあった。被告人が深夜、スナックで飲酒した後、帰宅途上に20代の女性を跳ねて即死させたという事件である。開廷前、廊下に被害者のご両親が座っておられた。法廷の傍聴に来られたのだ。
私は、公判前に被告人の妻と謝罪に行っていたため、ご両親とは面識があり、挨拶をして法廷に入ったが、その御両親は検察官入廷後もしばらく入廷されなかっ た。やがて裁判官が開廷を告げ、審理を始めようとした。そこで、私は、「廊下に被害者の遺族の方が来られている。傍聴のためだと思われるから、入廷を待っ て審理を始めるべきではないか」と意見を述べ、その後、裁判所の事務官が廊下の御両親に声をかけて入廷を促し、審理が始まった。娘を飲酒の交通事故で失っ た御両親はどんな心情で裁判所に足を運び、傍聴に来られたのだろうか。その絶望、怒り、葛藤は想像するに余りあるが、それを乗り越えて傍聴に来た被害者遺 族が入廷したことを見届けることも、その検察官は行わなかった。私は、正直、検察官のその姿勢に怒りを覚えた。
私は、残念であるが、最悪の人権侵害とも言うべき刑事犯罪の刑事裁判において、法律家が被害事実を直視し、その上で法律を適用するという基本的な事柄が 十分に行われていなかったことは事実であり、わが国の法曹がこの点で十分な取り組みを行ってこなかったことも認めざるを得ない。
従って、平成16年、犯罪被害者等基本法が制定され、一定の立法上の手当がなされるべきことは評価されて良い。今通常国会でなされた法改正も評価できる部分がある。
ただ、私は、今国会の法改正のうち、犯罪被害者が刑事裁判に当事者として直接参加する制度を導入した事については、賛成できない。
その理由は、次の通りである。刑事裁判に当事者として参加することは犯罪被害者に大きな心理的負担を与えることになるだろう。また、犯罪被害者の強烈な 被害感情に基づく直接的な訴訟手続の関与が事実認定に影響をゆがめたり、過度に報復的な要素が裁判に持ち込まれることを危惧するからである。
平成12年の法改正により、犯罪被害者が、被害に関する心情等について法廷で意見陳述することができるようになった(刑事訴訟法292条の2)。こうし た制度を活用し、何よりも検察官が犯罪被害者の心情を十分理解し、それを代弁した上で、公益の代表者として、被告人を弾劾し、厳正な処罰を求め、十分な訴 訟活動を行うことによって解決すべきであると私は考える。

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