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事務所だより

秋の連休を楽しむ(続) 豆電球No.74

2008年10月15日

秋の連休を楽しむ(続)

13日(月)体育の日。快晴。6月に足首を捻挫したリハビリを兼ねて、低山歩きをしようと思い立ち、鳩吹 山行きを決める。いつものようにコンビニ でおにぎりを買ったが、この日は妻が一緒なので5個。運動嫌いだが、先日、ノースフェイスのパンツとミズノのシューズを買い、ようやくやる気になってきた ようだ。無人駅の善師野駅がトランパスカードが使えるようになっていた。大洞池に向かう道々、田圃では稲刈りをしている。コスモスが美しい。
東海自然歩道を別れ、石原登山口から北回りのルートで西山経由、鳩吹山。アップダウンがあり、また山火事で木が燃え尽くしもまだ十分樹木が育っていない 鳩吹山は直射日光が当たるので暑い。休みなので、けっこう歩いている人がいる。長袖のシャツを脱いで、麻混じりのアンダーシャツで歩き出したら、「大学生 ならできないわね。おじさんになった証拠」と笑われた。
妻は、歩いている間もしゃべり続けている。静かな山歩きを好きなのだが、賑やかなのも悪くない。北方謙三の水滸伝や、土、日に故緒方拳を追悼して上映されたドラマを二本続けて見たので、その話をする。
妻は緒方拳の大ファンで「必殺 仕掛け人」等のシリーズも欠かさず見ていたようだ。
土曜のドラマは、「帽子」。緒方演じる広島県呉市の帽子屋を営む主人公は、軽い痴呆で店の売り上げも減り、細々と地元の高校の注文を取ったりしている が、一年の売上は20人か30人くらい。しかし、彼が作った帽子は縫製もしっかりしていて型くずれしないという評判だった。そんな主役が、警備会社で働く 青年と東京に行くことに。
日曜日のドラマは、タイトルを忘れてしまったが、V6の岡田との共演。緒方演じる主人公は、若い頃は不良だったが、洋服仕立屋で身を立て、今はデイサー ビスに通っている。 そこに、岡田が演じる17歳の少年が少年から出た後、保護司の指導を受けてボランティアに来る。「元不良少年」と「前不良少年」は、 つかみ合いの喧嘩を演じるが、元不良少年は、10年以上会っていない孫に会いたくなり、その旅に前不良少年が付き合わさせられることに。
いずれも、老いとは何か、人が生きるよりどころとは何かというテーマであるが、緒方が実に陰影に富んだ老人役を演じている。緒方氏の座右の銘は「不惜身命」だというが、肝臓癌とたたかいながら最後まで俳優として生き抜いた姿は胸を打つ。
男優という点では、アメリカではポール・ニューマンが死んだ。「明日に向かって撃て」等素晴らしい作品に出演していた。慈善活動に打ち込み、ベトナム戦争に反対し、反核運動にも参加する気骨ある俳優だった。
北方謙三の水滸伝は、エンタテインメント小説としては部類のおもしろさであり、一気に読める。原作は読んでいないが、吉川英治の水滸伝も読んだ妻による と、かなりの部分はむ北方の独創らしい(吉川版も同様かもしれないが)。そう言えば、北方水滸伝を特集したNHK教育番組をちらっと見たとき、北方は、水 滸伝で次々と死んでいくヒーロー達の死に様にふれ、そこに描かれている死生観は完全に日本人のものであり、それを投影させたという趣旨のことを話してい た。
日本の戦国ものも同じだが、中世から近世の戦記物や武勇伝はおもしろい。この時代までは、英雄たちが国を倒し、国を動かすという話がリアリティーがあ る。国家権力といっても、確かに巨大ではないが、倒せないという無力感を抱かせるようなものではなかった筈だ。軍事力のレベルを取っても、北方水滸伝にし ても、兵器は戟や弓矢であり、最後の梁山泊陥落の場面で大砲のようなものが出てくる程度である。また、反乱、革命の主体についても、民衆すなわち農民は、 被搾取者、被抑圧者ではあるが、たたかう主体ではない。少数のヒーローが、農民のために立ち上がり、八面六臂の活躍をして宋に立ち向かうというものであ り、エンゲルスに言わせれば、「多数者のための少数者による革命」の時代である。だから、英雄というものにリアリティーがある。
国家が巨大な軍事力を独占し、支配勢力が経済的にも思想的にも国民を深く取り込み、組織化する中で、一歩一歩陣地を広げながら進められる現代の社会変革 のたたかいでは、なかなかヒーローというものはイメージがむつかしい。「自分一人が立ち上がっても」という無力感が支配する沈滞し閉塞した現代社会だから こそ、昔の英雄物語を読むのは楽しいのだろうと思う。
話がドラマと本の話にそれてしまったが、あれやこれやしゃべりながら歩いているうちに鳩吹山の山頂へ。その後は、大脇登山口に降り、日本ライン花木センターで花を見て、可児川駅から帰路についた。

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