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事務所だより

経営の素人が中小企業の社長さんたちを前に法律事務所の経営論を語る1 豆電球No.84

2009年6月5日

経営の素人が中小企業の社長さんたちに法律事務所の経営論を語る1

久しぶりに中小企業家同友会の地区月例会に出席した。「出席」したといっても、私が出かけたというのではなく、地区の5月例会で弁護士の話を聞いてみようということになり、わざわざ私の事務所まで会員の皆さんがお越しいただいた訳であり、出席といえるかどうか疑問ではあるが。
私は、10年ほど前から、中小企業家同友会に所属している。当初は、2回に一回くらい例会に参加し、会計や新聞の編集担当等の役員までやらしていただいたのだが、最近は総会すら顔を出さず、典型的な「落ちこぼれ会員」になってしまった。あんまり久しぶりだったので、同窓会に出ているような気分になった。

与えられたテーマは、「弁護士から学び、自社に生かす!今こそ問われる経営者の資質とは?中小企業諸問題を法律現場より斬る!」。凄いテーマである。経営者のあるべき資質、それは私が知りたい。「斬る!」なんて、まるで必殺仕事人ではないか。
お引き受けしようか迷ったが、一度、自分なりの経営理念をまとめてみる場になるかもしれないと思い、24名もの大勢の社長さんたちの前で拙い経験談をお話しさせていただいた。
弁護士の経営論というのは、巷でも余り聞かない。
それには、理由がある。
これまでは、そもそも、「弁護士には経営論」は必要がなかった、とも言える。裁判所の周りにとぐろを巻いて事務所を構え、何かの伝をたどって事務所に来た相談者から事件を引き受けたり、顧問先の依頼を受けて、それで十分経営が成り立ったからである。面倒な事件、少額の事件を敬遠する傾向もあった。私は、こうした弁護士業界のあり方に強い疑問を抱いていた。だから、司法制度改革の中で弁護士人口の大幅な増大が目指されたとき、弁護士の多くが反対したが、私はこれを強く支持した(といっても、当時の弁護士の間の議論は500人堅持・増員反対派と、1000人ないし1500人程度への増員という議論であった。3000人増員などということを考えていた会員は、おそらく殆どいなかったのである)。司法制度改革の中で、こうした弁護士の旧態依然たるあり方に変化がようやく訪れようとしている。
私自身、経営者としての弁護士いうものの考え方には極めて疎く、職人としての弁護士像を描いてきた。弁護士は生涯現役であり、法廷や様々なたたかいの前線にいるべきだし、いたいと思っている。ところが、次第に事務所の規模が大きくなるにつれ、嫌でも経営という問題を考えざるを得ないことになってきたのである。たぶん、日本の弁護士の多くも、そうなのだろう。「サムライ」業の筆頭格として、人権と正義を語るのが弁護士であり、経営論を考えるなど邪道である、という雰囲気もあった。これはこれで、一つの弁護士モデルであり、そうした弁護士たちが、公害訴訟や労働裁判等で数々の実績を残してきた。私自身もそうした弁護士像に強いノスタルジアを覚える。しかし、国民の立場から見たとき、それでは不十分であったのである。本当に全ての国民が人間らしい社会を作ろうと思うなら、小さな司法から大きな司法への脱皮が必要であり、人権派弁護士にも運動論とともに法律事務所の組織論というものが必要ではないか、と次第に考えるようになっていった。

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