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事務所だより

震災4 −公務員− 豆電球№117

2011年4月11日

震災後、困難な条件の中で、人命救助のために活動する公務員たちの映像を見たり、新聞で語られるエピソードを読むと、心からの感銘を抱き、敬意が沸いてくる。

震災直後、未だ激しい余震が続く中、必死でがれきの中から生存者を探そうとする隊員、福島原発で原子炉や使用済み核燃料炉のプールを冷却するため、被爆を恐れず決死の活動に取り組んだ消防庁職員や自衛隊員、自らの家族も被災していながら、家族の近くにいたいであろうに、自分の車で寝泊まりして、避難所の被災者たちに物資を届けたり、被災者の面倒を見たり、行方不明者の捜索を援助する活動に従事している地方公務員等。
彼らの活動ぶりを見ていると、「仕事だから当然だよね」というようなレベルを遙かに超え、一人でも多くの命を救いたいという真剣な思いが伝わってきた。
もちろん、医療関係者や民間のボランティア団体等も支援に入っているが、どうしても緊急時に救援活動の中心を担うのは、公務員である。緊急時の活動は指揮系統が確立している組織に頼ることになるし、活動には十分な装備が必要である。自衛隊も同様である。 私は、対外的戦闘を主たる任務とする武力組織の保持を禁じた憲法9条の厳守を求める立場に立つが、災害復興のために自衛隊が果たす活動の重要性を評価することについて人後に落ちるものではない。

こうした活動に参加している公務員、自衛隊関係者等の中に疲労の色が濃くなっているという。被災地での活動は肉体的にもリスクが大きいが、次々と発見される遺体を収容し安置する作業等を考えるとメンタル面での負担が大きいことが懸念される。自分の娘と同じくらいの年齢の少女の遺体を見てむせび泣きを堪えきれなかった自治体職員のエピソードが出ていた。
過重な肉体的精神的負荷は、心臓疾患の悪化等をもたらし、過労死を生み出すリスクを拡大する。是非、当局には、救援活動に従事する公務員の方々の労働安全衛生対策にも万全を期してもらいたいと思う。

前回の豆電球で震災は日本の政治社会の風景を変えたと書いた。震災前、公務員は世間の風当たりが強かった。特に名古屋では、河村市長が「税金を払っている側が苦労している時に、税金でメシを食っている連中が楽をしているのはけしからん」と名古屋弁で囃し立てていた。河村市長が目論んでいるのは、差しあたりは議員報酬の削減だが、次は公務員給与の大幅カットであることは誰もが認めるところである。

私は、日本の公務員たちは、本来は真面目で質が高いと思う。日本の裁判制度、司法制度の在り方を強く批判してきた私であるが、日本の裁判官たちは概して誠実無私であり、決して賄賂を受け取らず、自宅に事件記録を持ち込んで休日に判決を書いたりしているのが大抵である。
ところが、最近は、こうした公務員の努力が顧みられることは少なくなり、官バッシング、公務員バッシングが流行っている。私が悲しいのは、同じ労働者でありながら、民間労働者と公務員労働者の間に同じ労働者としての連帯感が失われ、深い溝が出来つつあるように見えることである。私たち市民は、もう一度、公務労働の重要性を認識すべきである。同時に公務員たちは、市民に奉仕するという原点に立ち返るべきだ。また、労働条件についても決して聖域とせず、市民の意見に謙虚に耳を傾け、正すべき点は正すという立場に立って欲しい。
そうした中で、市民と公務員の絆が強まることを期待したい。

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