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事務所だより

『ぷらっとほーむ』権利擁護の人づくり講座 に参加して6(その2)

2013年5月2日

ぷらっとほーむ』権利擁護の人づくり講座 に参加して(その2)

第6回講座 権利擁護を必要としている人たちの理解

事務局 福島

午後の講師は、兵庫県西宮市の障害者総合相談支援センターにしのみやのセンター長の玉木幸則さんです。玉木さんは、NHKの番組『バリバラ』のパーソナリティも務める方で、ご自身が脳性まひの障害がありながら、西宮市社会福祉協議会が開設する障害者の相談センターのセンター長(ご本人は「でも嘱託職員」とぼやいていました)をされて忙しい日々のようです。障害のために独特の喋り方で、確かに最初は聞き取りづらいのですが、耳馴れると関西人らしい軽快な口上が魅力的で、お話にぐいぐい引き込まれました。

玉木さんのお話は、自らの経験や相談センターに寄せられたケース、番組で出会った人のケースなど、実体験に基づいた「差別される対象」の具体的な事例で、胸に苦しく響く内容もありました。玉木さんがセンター長を務めている障害者総合相談支援センターでは、西宮市内の障害者に関する相談を一手に引き受けており、13名の職員全員で情報を共有して対処しているそうです。例えば本人が施設を出たがっているのに反対する親を説得する仕事や、虐待の相談や通報も受けているとのこと。また、玉木さん自身が保佐人にもついているそうです。

阪神大震災の後、玉木さんの元に障害のある人から「ぼくたちは生きててもいいんでしょうか?」というメールが届いたそうです。障害のある人間が社会から疎外感を感じたことが悔しくて怒りがこみ上げたといいます。たとえば仕事を探すこと。健常者が自分一人食べていくだけなら、仕事を選ばなければいくらでもあるが、障害者にはない。公務員試験は障害者も受験可能とされていますが、自力通勤ができる・字が書ける・コピーした字が読めるなどの制約があり、これだけで既に障害者には資格がないことを表しています。

玉木さん自身の経験として、4歳の時に父親と水族館に行き、そのまま家に帰ると思っていたところ、肢体不自由児療育施設に置いて行かれたことが本当に悲しかったと言います。当時は優性思想により「不幸な子どもを生まない」対策室があり、自分はその対象者だったことにその場で気づかされたそうです。徹底的に歩行を矯正されたけれども治るわけもなく、親に自分を否定され、地域から切り離されたと感じたと涙を見せていました。

玉木さんが繰り返していたのは「ただ普通に地域で生きていきたい」という言葉でした。

午前の小島さんのお話にも通じますが、本人の本当の幸せは障害のない人と同じように家族や社会とつながって生活することなのだと改めて気付かされました。よく「障害は個性」などと言われますが、ただ少し周囲の手伝いが必要なだけで、本人はかわいそうな人なんて思っていないということなのでしょう。思い返してみると、私が妊婦だったとき、ちょっとした段差が不安だったり、人混みが恐怖だったのがまさに「少し手伝いが必要」な状態だったのでしょう。

小島さん・玉木さんお二人のお話をそれぞれ聴いて、障害を持つ人に対する考え方が少し変わり、ずいぶん身近な存在に感じました。妊婦のときの不安な気持ちを忘れずに、どんな人でも普通に生活できることを第一に考えていきたいと思います。

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