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事務所だより

座談会 「なぜ、今、『蟹工船』が読まれるのか」1

2008年11月18日

座談会 「なぜ、今、『蟹工船』が読まれるのか」1

小林多喜二の小説『蟹工船』がベストセラーになっています。派遣労働者などの不安定雇用やワーキングプア等が社会問題となる中で、若者、特にロストジェネ レーション(※)と呼ばれる世代に受け入れられていると言われています。『蟹工船』は、小林多喜二が全日本無産者芸術連盟の機関誌である雑誌『戦旗』に 1931年に発表し、プロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高い作品です。それにしても、70年が経過し、時代状況も異なる現代日本で、なぜ、 今、「蟹工船ブーム」なのか。
そんなことを考えていた時、私の大学時代の友人である島村輝さんが小林多喜二を専攻する文学者であったことを思い出した。名古屋に来ていただき、ロスジェネ世代の若者3名を交えて対談を行いました。
そこで、この座談会の要旨を、三回にわけて掲載します(要約は長谷川一裕が行いました。なお、骨子は、ホウネットニュース№11に掲載済)。

(※)ロストジェネレーション・・・直訳すれば「失われた世代」。ここでは、80年代の日本のバブル経済が崩壊した後の10年ほどの間に学校を卒業して社会に出て、就職氷河期を経験した世代のことを言う。略して「ロスジェネ」とも言われる。

【対談を行っていただいた方々】
島村 輝   現在、女子美術大学教授 小林多喜二に関する著作多数。
『蟹工船』エッセイコンテスト選考会委員長。
畔柳 早苗  保育士(28歳)
長谷川 一裕 弁護士
熊谷 茂樹  名古屋北法律事務所事務局員
福島 あづさ 名古屋北法律事務所事務局員

長谷川
小林多喜二の『蟹工船』が50万部も売れるベストセラーになり、一大ブームになっています。島村さん、なぜ今、『蟹工船』なのですか。

島村
私は卒業論文で多喜二を書きましたから、30年近く小林多喜二につきあっている感じになります。
2003年、多喜二の生誕100年、没後70年あたりから研究者や一部読者の間で小林多喜二の作品を現代的に評価しなおそうという動きがありました。
しかし、『蟹工船』が大きくクローズアップされるようになった背景としては、1995年ぐらいから進められてきた雇用の形態の変化があります。特にロス ジェネといわれているような20代後半から30代の前半ぐらいの人たちが直面している雇用状況が非常に悪いという背景があって、その状況が『蟹工船』の描 いている世界に非常に似通っているぞという指摘が出てきました。

長谷川
99年に労働者派遣法の抜本改悪がなされて、それまではネガティブリストといって、派遣労働者を使うことができる業種が限定的に列挙されていたわけですよね。それが原則自由になり、03年には製造現場、つまり日本の最も基幹的な産業の分野で派遣労働が解禁されましたね。
畔柳さんは、どのように『蟹工船』を読みましたか。

畔柳
私が働く保育園は、正規が10名の職場でパートタイマーの保育士が約20名です。雇用問題だけでなく、最近の秋葉原での殺傷事件等でも背景にある若者の 貧困、孤独という問題等に関心があり、『蟹工船』を読みました。また、保育士なので、子どもたちの未来と重ねて読みました。
小泉政権になってから、親の働き方が変わり、両親共に非正規だとか、生活の厳しい家庭が増えています。夜間保育や二重保育になって、かえって保育料の負担も大変だと思います。保育料が月に10万かかる人もいるそうです。

島村
熊谷さんは、『蟹工船』はいつ読んだの。

熊谷
『蟹工船』って、国語の教科書には必ず1行程度載っている割には、本屋には全く置かれてなかったんですよ。それが数年前に本屋に行った時に、たまたま1冊だけあったんです。文庫本のカバーが赤と黒の印象的なものでした。これを読む前に、スタインベックの『怒りの葡萄』を読んだせいもあるのかも知れませんが、気になって手に取りました。

福島
私は、『蟹工船』は、つい数日前に読んだんです(笑い)。実家にあった初版本の復刻版を読みました。

畔柳
私は『蟹工船』を読んで、多喜二の生きた時代背景を感じました。それと、今と何か似た部分があるんじゃないかなと感じました。
『蟹工船』の最後のほうの場面で労働者たちが「立ち上がるんだ!」とか言って。私は、”団結”というスローガンやストライキは知らない世代ですが、労働者が一回弾圧されてもまた立ち上がると書いているところが印象的でした。

長谷川
文学作品としてのリアリティーを感じます。戦前の社会構造というんですかね、それを蟹工船という、物理的には狭い舞台の中に凝縮させて描いているという気がする。貧困な農村があって、高い小作料があって、食えない次男坊三男坊がいて出稼ぎ労働があったわけですよ。冒頭でそういう場面が出てくるよね。どういう人たちが蟹工船に乗って来るかという。それから最後に軍隊が出てくるんですけども、結局地主や資本家の利益を守るために、国家というものが厳然と存在しているという構図がリアルです。戦前の日本の古い支配構造。農村における貧困。それから天皇制の存在。この作品が発売禁止になった理由が、献上品のところに石を混ぜたれというところが問題になったためらしいね。

島村
発売禁止じゃなくて検挙されたの。
多喜二は、1930年に1回大阪で逮捕されます。共産党への資金援助のかどです。それで、東京の拘置所へ回されたら、結局この『蟹工船』の「××でも入れておけ」という、献上品に石ころでも入れておけという部分が不敬罪にあたるというんで、追起訴された。でも、実際には未決拘束で、不起訴になっちゃうんだよ。未決監に半年ぐらいいるんだけど、予審の段階で不起訴になって、出てきます。
その2年後に、特高警察に検挙され拷問で殺されました。いわゆる共産党の治安維持法違反の本罪ですね。

長谷川
映画のように印象的に凝縮して描こうとした関係があって、いささか単純化して描いているのかな?という気もしますが。

島村
『蟹工船』は、一種のパニック物といえばパニック物で、閉鎖空間というか、切り離された空間の中での事件に一つのモデルを作るわけです。
大きな全体をぎゅーっと凝縮したモデルの中に描いていくという方法。限られた空間で限られた登場人物を登場させるんだけど、その中に、そこまでの全歴史とか、日本の置かれている過程がいまなぜそういう状況なっているのか、その登場人物がなぜそういう行動を取るのかっていう連鎖が、そこから全部見えてくる方法を使う。ここから、つまりは日本の近代の歴史とか社会構造が見通せるということが言えるんですね。

長谷川
『蟹工船』を文学的に評価すると、どういうことになりますか。

島村
多喜二は、若くして特高に殺され、しかも獄中にいる期間もあり、3年半しかメジャーな仕事をしなかった小説家です。でも、この『蟹工船』という作品は、文学としての中身が濃いだけでなく、当時の小説というものが持っている技法、その先端的な方法を使って書いています。最初の「おい地獄さ行ぐんだで!」から始まって、すーっと場面が移っていくっていう状態。映画とか劇画と同じ方法です。
カメラがある場面をクローズアップして、一転してワーと引いておいて、今度は移動しながら、また少しずつ少しずつ写していくというような。
途中にカットバックが入ってきて回想が入ってまた戻るという、映画のモンタージュという手法もそうです。それから比喩の方法が多彩に使われています。例えば「波がカタツムリが背伸びをしたように延びている」とか。

長谷川
シュールな感じもします。

島村
そうなんです。比喩的表現を繰り返すうちに、実は少しずつずれながらイメージが連鎖していくんです。それで出てくるのが、結局、「糞壷(くそつぼ)」。労働者たちが住んでいる、ま、船室のことなんだけれども、労働者たちが糞壷の中に押し込められている。彼ら自身も風呂も入れないし、死体を見たら排泄物がこびりついていたという。そういうようなボロボロの状態にされている。そういう糞壷の中にいる、排泄物扱いされているような人間たちの、「俺たちのほんとうの血と肉を絞り上げて作ったものだ」と。それが蟹の「缶詰」だというわけ。つまり、労働者の肉体が、蟹の缶詰に加工されているというふうに比喩を使っているわけ。「蟹」っていうのは、「糞」なんですよ、実は。そしてそれを、「缶詰」の中に入れて、天皇に献上しろっていうわけ。つまり、これをね。石ころでも入れておけっていうのはまだ上品な比喩であって、ほんとは糞食らえって言っているわけです。何回も何回も糞食らえと言っている。天皇制糞食らえというふうに、この小説全体のレトリックを使って言っているというのが、この『蟹工船』という小説の言葉の仕組みなんだよね。そういう方法を使っているから、凄くインパクトが強いんです。直接に言うよりもインパクトが強い。
その結果、何が起こるかって言うと、過酷な労働条件の中で苦しめられてボロボロになっている労働者たちが一番尊いものであって、そしてそういう彼らをこき使っている上層部の人間たち、綺麗な着物を着て美味いものを食っているとされている人間たちがほんとに汚らしいものであるっていう、そういう逆転がずーっと起こって来るような仕組みになっているっていうことも、この作品の潜在的な力。これは文学的に解明していくとそういうことになります。
だから、中身がそうだっていうだけじゃなく、文学としての方法がやっぱり凄いから、これ、読まれていると思います。あと言えるのは、こういう映画的な方法とか擬音とか五感に訴えるような方法ってのは、凄く劇画的。漫画にするのにピッタリします。他の小説ではここまでいかない。

長谷川
蔵原惟人に対する手紙の中で書いたように、解り易く労働者に伝えたいという思いがあったようですね。単純化してインパクトを強めようとした。

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