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事務所だより

青春18きっぷ番外編〜山陰本線「さようなら余部橋梁」の旅  立木勝義

2010年7月27日

青春18きっぷ番外編〜山陰本線「さようなら余部橋梁」の旅
          名古屋北法律事務所・参与  立 木  勝 義

 青春18キップの発売期間でない7月9日から11日までの3日間を山陰本線の旅にあてました。目的は、この秋までに新橋梁に架け替え工事が完了する予定の兵庫県香美町久谷駅〜鎧駅間にある余部鉄橋を見ることでした。
 7月9日午後1時41分下関発、小串行き普通列車で、いよいよ山陰本線の制覇に挑戦する旅をスタート。日本海の絶景を望む沿線には、温泉や出雲大社に代表される名所・旧跡が多くあり楽しみな旅になりそうな予感がしました。

     寄り道はレトロな「門司港駅」へ
 新幹線小倉駅に予定より早く着いた私は、かつては九州方面の長距離列車の始発駅であった門司港駅(当時は門司駅)をみたいと思い、小倉から普通列車で約13分の門司港駅へ向かいました。大正3年開業の門司港駅。昭和63年に鉄道駅舎初の国の重要文化財に指定され、木造2階建ての駅舎はメトロシティとして観光名所になっています。この駅舎の2階には「貴賓室」「小会議室」などがあり、「みかど食堂」の懐かしい写真が展示されていました。
 観光パンフには、門司港駅から1から2分のところにある旧大阪商船や旧門司三井倶楽部などの大正時代の建物をめぐる散策コースが紹介されており、一度はゆっくりとレトロな街をぶらりとしてみたい気分でした。

鉄道駅舎初の国の重要文化財に指定された「門司港駅」

鉄道駅舎初の国の重要文化財に指定された「門司港駅」

     今夜のお泊まりは、出雲市で
 山陰本線は山口県下関市「幡生駅」から京都府「京都駅」までの683.8kmの「偉大なローカル線」といわれる日本最長の”ローカル”幹線です。
幡生から約1時間ほどで「長門市」に到着。長門市駅構内にある旧長門機関区跡に黒ずんだアッシュピットが確認できました。かつては本州における蒸気機関車最終受持区として知られ、D51形の牙城だった機関区であり、このピットは運転後の灰を落としていたところで、その活躍ぶりが今も伝わってきます。
 列車は「三見」から「玉江」の海岸沿いを走り抜けて惣郷川橋梁に差し掛かる。鉄道雑誌で「コンクリート4柱式ラーメン構造は珍しい」と知っていた私は走行中の列車の前方に走り写真に撮る。「うまく撮れました」

須佐〜宇田郷間「惣郷川橋梁」を走り抜ける

須佐〜宇田郷間「惣郷川橋梁」を走り抜ける

 明日から日程との関係で、益田駅(18時28分発)からは特急「スーパーおき6号」で出雲市まで「急ぎ旅」となりました。途中の三保三隅駅から折居駅間は海岸沿いを走り、日本海の夕日の車窓が美しく、心が癒されるひとときでした。夜20時12分に出雲市駅に到着。

夕日の車窓が「ふるさとの郷愁」を呼ぶ

夕日の車窓が「ふるさとの郷愁」を呼ぶ

     映画「RAILWAYS」の一畑電車の体験
 10日、出雲大社までタクシーで乗り込み「出雲大社」拝観。すぐに一畑電車の出雲大社前駅に向かい途中「川添駅」で乗り換えて「一畑松江駅」まで行くことにしました。この6月に封切りとなった映画「RAILWAYS」(中井貴一主演)の撮影現場に足を伸ばしてみたかったのです。一畑電車は意外と速度も高く、田畑の中を快適に走り、宍道湖を半周する感じで松江に向かいました。ちなみにこの間の料金は790円で、結構、中年の旅好きのひとたちが乗車していました。
この映画は、観賞された方はご存じでしょうが、ふるさとを離れ東京のエリート会社員が子供の時の夢だった「電車運転手」になるという話しです。ほのぼのとした暖かい映画でした。
ほっとした気分でJR松江駅に戻り山陰本線の旅の続きがはじまりました。
 米子駅のひとつ手前の駅に「安来駅」があり、あの安来節で有名なところと知りました。また、現在放映中のNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主人公・布美枝の故郷として注目を集めている駅で、10月には足立美術館の新館がオープンするとの宣伝もありました。一度は下車して散策する土地ではないかと思いました。
 米子駅で40分ほどの待合い時間を利用して、名物の駅弁を探しました。ここの1番人気は「創業明治35年の左衛門鮓絵巻」(1050円)ですが、私は「かにちらし寿し」(1020円)を購入。旅の昼食は列車のなかでとる弁当に限ります。鳥取(12時36分)までの間に昼食をすませ、浜坂(14時12分)で、また乗り換え、最大の目的地である余部駅に到着したのは午後3時18分でした。

一畑電車「デバニ50形」−出雲大社前駅

一畑電車「デバニ50形」−出雲大社前駅

     さようなら余部鉄橋−98年の歴史に幕
ホームは別れを惜しむツアー客でいっぱい
 地上約41メートルの高さ、長さは310メートルで山陰線をつないでいる余部鉄橋は1912年に完成しています。三角形の鉄骨をやぐら状に組む「トレッスル式」の鉄橋として東洋一の規模を誇っています。以来、地域の脚として100年近く支えてきましたが、この16日にその役目を終え、新しいコンクリート橋に架け替えられるのです。
 海を見下ろすかのような堂々たる風情は観光スポットとして、また、「撮り鉄」たちの夢のワンカットとして有名です。この日は見納めの人達が押し寄せ、ホームは人であふれていました。
 この橋の上から列車が転落し、6人の人が亡くなる重大事故が起きたのは今から24年前の12月です。翌年の1987年に国鉄の分割民営化を控え、労働者の採用差別の選別が始まり、当局からの生き残りをかけて列車の遅れを出さないための強風下での運行強行が尊い命を失わせたのです(遅れは労働者の責任となり点数が悪くなるため)。ここにも分割民営化の犠牲者がいたことを忘れてはならないと鉄橋を眺めながら心に刻みました。
小学校の願いが叶って、鉄橋完成から約50年後に設置されたという余部駅を16時16分発の電車は大幅に遅れて発車しました。次の宿泊は45年ぶりの城之崎温泉です。

撤去作業のため足場が組み込まれた余り部鉄橋

撤去作業のため足場が組み込まれた余り部鉄橋

     城之崎温泉から小浜線経由で
 7月11日、風情ある城之崎温泉駅を朝9時14分の豊岡駅行きの気動車列車に乗車、豊岡から電車で福知山駅まで行き、福知山からは舞鶴線の起点駅「綾部」で下車しました。途中の和田山駅で明治12年建設されたレンガ造りの機関庫と給水塔を写真におさめることができました。

和田山駅に眠る明治12年建設の機関庫跡

和田山駅に眠る明治12年建設の機関庫跡

 綾部駅から舞鶴線(東舞鶴〜綾部間26.4km)で東舞鶴まで乗車し、東舞鶴からは小浜線(敦賀〜東舞鶴間84.3km)を制覇しました。
 元国鉄マンとして驚いたのは、東舞鶴駅でのことです。私が乗っている列車が到着するホームには、すでに別の電車が止まっていました。その同じ線路に入線するというのは安全上は考えられないことでした。利便性だけを重んじると安全性は軽視されるのではと感じるのは私だけでしょうかね。東舞鶴駅では、その止まっていた電車に乗り継いで敦賀まで乗車しました。
 小浜線は京都の東舞鶴から福井県の若狭湾に沿って敦賀まで至る路線です。沿線には景勝地の・美方五湖を眺めることができます。沿線のあちらこちらに「小浜から近江大津へ鉄道建設を」との看板が飛び込みます。いまでも「敦賀か、今津か」の沿線の問題があるようです。
 しかし、この景勝地も近くに建設中と思われる舞鶴若狭自動車道が迫ってきて一変することになり、人々のくらしも変化させられることに・・・。
 そんな思いを巡らせていると列車は敦賀に到着。ここからは北陸本線で特急「しらさぎ」に乗り継ぎ、帰路につきました。この北陸本線は次の機会に全線制覇としたいと思いました。

私の目標    5年で、全国90路線、全国制覇を
今日の到達点  日豊本線(別府〜小倉)、鹿児島本線(小倉〜門司港)、山陰本線(幡        生〜綾部)、舞鶴線(綾部〜東舞鶴)、小浜線(東舞鶴〜敦賀)、北陸        本線(敦賀〜米原)の6路線
前回まで14路線+6路線 JR線/計22路線 【第3セクター線/1路線】

残路線 68路線 【私鉄/1路線】

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